伊豆長岡温泉 ホテル天坊TOP » 知恵の輪倶楽部 » 知恵の輪倶楽部通信03
知恵の輪倶楽部 温泉旅館を舞台に新しい企画を次々と立ち上げる集団が遂に誕生!温泉旅館発!!伊豆のクリエーター集団”知恵の輪倶楽部”遂に発足!
知恵の輪倶楽部通信
知恵の輪倶楽部とは?

毎年七月の初旬、伊豆長岡で『あやめ祭り』が開かれている。
日本各地であやめ祭りを催しているところは何箇所もある。
しかし伊豆長岡のあやめ祭りは、他とは一線を画す。というのも、この祭の主人公は、花ではなく人間の菖蒲だからだ。
時は平安末期、伊豆長岡出身の女官菖蒲が、朝廷にお仕えしていた。絶世の美女と謳われ、そんな彼女を射止めたのが源頼政である。
頼政は宇治平等院の戦いで敗れて自害し、菖蒲御膳は伊豆に戻った。そんな彼女を供養する祭なのである。
この祭、始まったのは昭和八年。今と同じく政府のビジットジャパンキャンペーンが行われていた。国立公園が生まれ、各地で外国人専用の観光ホテルが建てられた。有名なのは、上高地ホテルや伊豆の川奈ホテル、長崎の雲仙観光ホテル、蒲郡ホテルなどである。
シベリア鉄道が開通したことにより、西欧諸国の上流階級の人々の間で、世界一周旅行が流行った。その流れを受けて、日本でも観光客を誘致しようとしたのだ。
伊豆長岡のあやめ祭りも、そんな時代の中で生まれた。歴史に材を取ったところに、これからも祭が続いてほしいという、並々ならぬ意欲を感じる。
話が長くなったが、この祭では、知恵の倶楽部のメンバーである芸者の九美さんが舞台で踊りを披露している。
九美さんは、その昔、カナダのバンクーバーに五年間いたこともあり、英語が話せる芸者として有名である。
三日間の祭が終わった翌日の夕方、九美さんは、我々知恵の輪倶楽部メンバー一行をホテル天坊の宴会場前で待ってくれていた。
この夜は、親睦も兼ねてメンバー全員でお座敷遊びをしようという趣向だ。
九美さんは黒字に白の粋な着物姿で、白帯にピンクの帯締めをしている。洋服姿の時よりもキリッと見える。
彼女の隣には日本髪が良く似合う玉菊さん。黒の着物の裾には菖蒲が描かれている。白い帯に真っ赤な帯締め。
地方のお姉さんが、桃千代さんだ。髪は短いがきれいにセットされている。濃紺の着物を着て、手にはもちろん三味線を持っている。
私も含めて大多数のメンバーが、初めてのお座敷遊びであった。この日はメンバーだけでなく、その友人や家族も同伴している。総勢三十四名である。
料理長自慢の料理がお膳に並べられている。

お座敷遊び風景

キャプテンは奥さんと中学一年になる娘さん、反射炉君のところは、最近反射炉君より反射炉君父のほうが熱心に会合に出席しており、奥さんも一緒だ。
タパさんはこの日もTシャツに半ズボン、ビーチサンダルで来たから裸足だ。他にも酒蔵のヒゲ旦那、看板娘、元カットグラス作家、グラフィックデザイナー、漁協の課長、久しぶりに富士夫さんの姿も見える。
舞台の右隅に桃千代さんが座った。三味線が落ち着いた音色を響かせる。
九美さんと玉菊さんが現れた。九美さんが男踊りで、玉菊さんが女踊りだ。

九美さんは、決して体が大きいほうではないが、大きく、力強く、そして逞しく見えるから不思議だ。
「日本舞踊では、女踊りより男踊りのほうが難しいのよ」
と、隣に座った妻であるスケッチ画家が呟いている。
『吉原雀』、『源氏節』、『奴さん』、『東京音頭』、『あやめ音頭』と踊りは続いた。花柳流だ。
あやめ音頭は、あやめ祭のために作られた歌である。作詞西条四十、作曲中山晋平のゴールデンコンビだ。
観衆の中では、キャプテンの娘さんが目をキラキラさせて踊りを見ていた。彼女は吹奏楽部でフルート奏者をしている。
踊りが終わると、九美さんはじめ、三人が席に下りてくる。酌をしてもらいながら四方山話に花が咲く。
「実は先月、新しい子が入ったんです」
と九美さんはうれしそうに話した。
「前からの友人だったんですけど、芸者でもやればいいじゃないって……これ私の癖なんですけど。話していたら、是非やりたいってことになって。それもルーマニア人なんですよ。名前は福太郎」
日本で最初の外国人芸者と話題になったのが、浅草のオーストラリア人女性だ。もしかしたら二人目か?
「それがもう大変で。背が一七0もあるから、一反の着物では長さがギリギリ。扇子も火を起こすみたいに使うし、お客さんとカラオケに行けば、自分のほうが背が高いから肩を組んじゃうし。でもピンクとかの派手な着物が似合うのよ。これには感心しちゃった。」
飲みながら、話す。
最近は女性だけの席に呼ばれることもあるそうだ。
「そんな時はね、苦労話が好まれるの。全然わからない業界でしょ。それも女性だけの業界。俄然、みなさんそんな世界に興味があるみたい。あと、着物の話とか踊りの話とか」
男性客よりも、女性客のほうが芸者の世界に文化を感じているようだ。
それからゲームが始まった。
『金比羅船々』に率先して上がったのがキャプテンの娘さんだ。物静かな彼女なのだが、父親譲りで物怖じしない性格なのかもしれない。なんでも彼女は、ヨットの上で育ったようなものらしい。
その後『お開きさん』には私も参加した。これが終わって、全員で炭坑節を踊ってお開きとなる。
しめて二時間のお座敷遊びは、風流で実に優雅であった。
日本人のみならず、世界の人たち相手にも通用する遊びにちがいない。
興味津々だった友人のフランス人は、この日予定が取れずに心底口惜しがっていた。
お座敷遊びが日本固有のものだからというだけでなく、ゲームも入った大人の遊びなど、世界中どこの国にも見当たらないからである。
それなのに、芸者の数は、最盛期の一割くらいになっているという。
熱海で百人、伊豆長岡で四十人ほどの芸者たちが、今宵もどこかで宴席を盛り上げているにちがいない。

知恵の輪倶楽部通信
知恵の輪倶楽部とは?